ニセアカシアは涼しげな葉や、初夏の美しい白い花が好まれ、街路樹や公園樹としてよく見かけられます。

 白い花は満開になると周囲は甘い香りで充満し、私たちを楽しませてくれます。

 このように、私たちの身近に存在する街路樹の一つ「ニシアカシア」は、実は東京や北海道が初めて植えた街路樹でもあります。

 本記事では、この美しい樹木「ニシアカシア」の歴史と魅力について紹介していきます。

ニセアカシアの歴史と魅力を紹介!

 私たちが日常「アカシア」と呼んでいる樹木は、正しくは「ニセアカシア」で、和名は「ハリエンジュ」と言います。

 本物の「アカシア」は同じマメ科ですが、アカシア属で熱帯の樹木です。

「ニセアカシア」はマメ科ハリエンジュ属で、葉がアカシアに似ていることから不粋にもこの名前が付けられました。

 しかしながら、黄色の花を咲かせるアカシアと負けず劣らず、白い花を咲かせるニセアカシアは、高貴で洗練された魅力があります。

 日本で見られるニセアカシアは、歴史的にはアメリカ東部アレゲニー原産の外来種です。

 したがって、人手の加わっていない奥山で見かけることはありません。

 アレゲニーはペンシルバニア州の群の一つで、西部の主要都市ピッツバーグを含む大きな群です。

 

 ニセアカシアは、高さ20m・直径1mにも達する落葉広葉樹で、寿命は比較的短いですが、非常に生命力が強く、土壌を選びません。

 これは根留菌バクテリアの作用によるもので、栄養となる空気中の窒素を固定するため、やせ地であっても日光が当たれば育ちます。

 そのため土砂崩れ防止用、河原の土止めとして植えられています。

 また繁殖力も強く、根から発芽する栄養繁殖であるため、みるみるうちに分布を増やしていく樹種です。

 たとえ乱雑に剪定されたとしても、再生を繰り返します。また伐採した切り株からは、100本以上の非常に多くの新梢が生えてきます。

 そのため実は、”アメリカザリガニ”や”ワニガメ”などと同様に「要注意外来生物リスト」に分類されています。(環境省)

 しかしながら、その繁殖力から”治山用樹種”として広く植えられているのも事実です。

 秋田県・小坂町では、小坂鉱山があり、銅精錬の時に排出される煙の中に含まれた亜硫酸ガスによって煙害が発生し、激害地では裸地状になりました。

 そこでニセアカシアが植えられ、その総面積は570haに及びます。

 このように、ニセアカシアは治山用樹としても大変貴重な存在です。

 また小坂町では、1984年以降、アカシアの花が咲き誇る6月に「アカシア祭り」が実施され、町民はもとより全国から観光客が訪れるようになりました。

 ニセアカシアは”外来種”であることは明らかですが、今や”郷土の花”となっています。

東京が初めて植えた街路樹とは!?

 日本へは、1874年(明治7年)にアメリカからニセアカシアの種子が輸入されました。

 そして、外来種の街路樹として東京では初めて、大手町1丁目を通る「内堀通り」にニセアカシアが植えられました。(東京都建設局参照)

 

 東京で初めて外来種が植栽された1874年(明治7年)の年は、同じく東京で「近代的街路樹」として初めて、銀座通りにクロマツやサクラが植えられた年でもあります。

 明治時代は、江戸時代最後の元号・慶応の3年に、5代目将軍・徳川慶喜大政奉還を行い新政府として発足した時代です。

 約260年間続いた江戸幕府が終わり、天皇を中心とした新しい国家体制が始まった時代でもあります。

 この時代に「江戸」を「東京」と改め、1869年(明治2年)に政府機能が京都から東京へと移されました。

 かの有名なペリーが日本に来航したのが1853年ですから、1874年(明治7年)は日本が鎖国を解禁し積極的に外国文化を取り入れていた時期であります。

 このような時代背景の中、ニセアカシアは明治維新の文明開化のシンボルとして植えられました。

 現在この「内堀通り」には、残念ながらニセアカシアではなくエンジュが植えられていますが、「市内最初ノ並木」と刻まれた石碑は、現在でもこの場所に残っています。

パイオニアツリーと呼ばれる理由とは!?

 ニセアカシアが「パイオニアツリー」と呼ばれているのはご存知でしょうか。

 1881年(明治14年)に、ニセアカシアは東京青山開拓試験場から札幌に苗を移し、北海道に初めての街路樹として植えられました

 明治初期は、北海道が新しく開拓されていた時代であり、この土地に最初に植えられたことで「パイオニアツリー」と呼ばれるようになりました。

 ニセアカシアが、開拓中の痩せた土地でも成長する理由は前述の通りです。

 アカシアの並木にポプラに秋の風 吹くがかなしと日記に残れり

石川啄木

 石川啄木が、放浪の旅で北海道に移ったのは、1907年(明治40年)とされています。

 この歌より、北海道に植栽されたニセアカシアは大きく成長していたことが分かります。

上質で高級なハチミツが採れる木

 ニセアカシアの花は美しいだけでなく、甘い香りが特徴的です。

 そのためユリノキと同様、良質な蜜源として知られています。(以下の記事参照)

 ニセアカシアが蜜源のハチミツは上質で、非常に淡白な日本人好みの味です。

 またハチミツの色はほとんど透明であり、最高級品とされています。

 5年生のニセアカシアの木からは、600g程のハチミツが採取されると言われています。

 しかしニセアカシアの花は、梅雨時の強い雨が降ると、まるで雪が降ったかのように一晩で道が真っ白になります。

「一雨十万」と呼ばれ、一日雨が降ると養蜂家は、金額にして10万円もの損失になってしまうという意味です。

 このように上質なハチミツの蜜源となるニセアカシアですが、前述のように「要注意外来生物リスト」に分類されています。

 そのため、開発などによって年ごとに数は減っていますが、養蜂家がニセアカシアの保護に努めているなど立場が難しい木でもあります。

実は美味なニセアカシアの花

 ニセアカシアの樹木周りは、甘い香りで充満しています。

 これは前述の通り、蜜蜂に好まれる所以でもあります。

 また花は、満開になる前に摘み取ることで、天ぷらや和え物にして食べることができます。

 味は爽やかな香りと共に、ほんのり甘く美味です。

 ニセアカシアの花は中国でも、日本人がキクの花を食すと同様に、花を天ぷらのようにして食されています。

トゲが「ある木」と「ない木」

 ニセアカシアの葉は栄養分が豊富で、家畜の飼料として用いられています。

 ニセアカシアには、トゲが「ある木」と「ない木」があります。

 トゲが「ない木」は「トゲナシニセアカシア」と呼ばれており、さらに原産国によって「英国トゲナシニセアカシア」と「青島トゲナシニセアカシア」と呼ばれています。

 青島種は、1915年に青島から渡来してきたものです。

 飼料にする場合は、葉を刈り込んで乾燥させる必要があります。

 また、ニセアカシアはその生命力から、葉は一年に3回採集できるとされています。

 このように、ニセアカシアは非常に有用な木として私たちの身近に存在しています。

最後に -歴史が深い樹木-

 以上が「ニセアカシアの歴史と魅力を紹介!東京や北海道が初めて植えた街路樹とは!?」になります。

 ニセアカシアは、日本の文明開化と非常に繋がりの深い樹木であり、日本の経済成長と寄り添ってきた樹木でもあります。

 今まで何気なく見ていた樹木でも、意外と深い歴史を持っている樹木は数多く、その一つが「ニセアカシア」でありました。

 本記事を呼んで、さらに樹木について興味を持って頂けると幸いです。

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※本記事は「有用草木博物辞典」を参考にさせて頂いてます。