ウルシの樹木や漆文化は中国から伝来したと考えられていました。

 しかし、2011年に福井県・鳥浜貝塚遺跡で発見された木片が12,600年前の「ウルシの枝」であることが判明し、ウルシは元々日本に自生していた可能性が考えられています。

 その結果、漆文化は日本の発祥であるという説が有力であります。(以下の記事参照)

 その後、定住生活が進む弥生時代にかけて、農耕具や漁具など漆の用途は多様化していきました。

 本記事では、飛鳥時代(592〜710年)から始まる日本の漆文化の歴史について紹介していきます。

 最後までお付き合い頂けると幸いです。

世界に誇る日本漆文化の歴史を時代別に紹介!

飛鳥時代 (592-710年)

 
 538年の仏教の伝来と共に、漆の工芸的な用途が増えていきました。

 新しく、官設の漆塗り組織が制定されたのもこの時代です。

 神社仏閣に漆が多用され、特に法隆寺の漆塗り木造品「玉虫厨子」が有名です。

 玉虫厨子の詳細については、法隆寺のことが全てわかるサイトをご参照下さい。(上画像引用サイト)

奈良時代 (710-794年)

 
 奈良時代は、興福寺(上の写真)の「阿修羅像」が有名です。

 粘土で原型を形作り、その上に麻布を張り合わせて漆で仕上げる「脱活乾漆」という技法が用いられています。

 また、この時代の代表的な漆工芸品「漆胡瓶」や「螺鈿紫檀五絃琵琶」を東大寺・正倉院宝物に見ることができます。

「螺鈿紫檀五弦琵琶」は、唯一世界に残る古代の五弦琵琶とされています。

平安時代 (794-1185年)

 
 平安時代には藤原一族が栄華を極め、優雅な貴族文化の発展と共に、数多くの漆塗りの作品が誕生しました。

 中でも「中尊寺金色堂(上の写真)」や「片輪車蒔絵螺鈿手箱」が有名です。

「中尊寺金色堂」は、京都・金閣寺と同様に、漆が金箔の接着剤としての役割を果たしており、光沢のある黒色漆は、金箔の輝きをより一層際立たせています。(上画像引用:中尊寺公式サイト)

鎌倉時代 (1185-1333年)

 黒色漆の下塗りの上に朱漆を塗る「根来塗り」の技法が誕生しました。

 根来塗りとは、朱漆が経年劣化により黒色漆が露出し、年月を重ねる毎に味や風情が出る技法です。

 また鎌倉時代には、僧や武士へ食器や調度品、兜や鎧などの武具が普及した時代でもあります。

室町時代 (1336-1573年)

 
 室町時代は蒔絵を施した調度品が、日本の漆文化として海外へ輸出された時代です。

 室町時代末期の漆工芸品としては「高台寺蒔絵(上の写真)」が有名です。(上画像引用:高台寺公式サイト)

江戸時代 (1603-1867年)

 戦国時代が終わり、約250年続く江戸時代が始まります。

 この安定した時代背景の中で、各藩は漆器作りを奨励し、各地特有の漆塗り文化が誕生しました。

 津軽塗や秀衡塗、輪島塗、金沢漆器、春慶塗などの伝統的な技法は現代でも継承されています。

明治時代 (1868-1912年)

梅蒔絵硯箱 (白山松哉)

 開国後の日本は、欧州で開かれる万国博覧会に出品し、国際的に高い評価を得た時代です。

 漆器が英語で「ジャパン」と呼ばれ始めたのもこの時代からでしょうか。

 明治時代の柴田是真や六角紫水、白山松哉は日本美術院を創設し、現代漆工芸の礎を築いていきました。

大正時代昭和時代 (1912-1989年)

蓬莱之棚 (松田権六)

 日本伝統工芸展が開始され、ますます漆工芸は「芸術工芸品」として評価されていきます。

 この時代は国産漆の生産量も現代と比べ多く、1951年には約34トンもの漆が生産されています。

 また1955年に松田権六が、漆業界で初の人間国宝に認定されています。

平成時代 (1989-2019年)

 漆工芸品の高級化が進み、贈答品として人気が高まりました。

 また1998年の長野オリンピックでは、蒔絵が施された漆メダルが話題になりました。(上画像引用:塩尻市観光協会)

最後に – 漆文化の継承

 このように、古来から現代にかけて、日本特有の漆文化が発展していきました。

 漆文化は時代を経るにつれて、漆工芸品から芸術品・アートへと変化を遂げています。

 また、漆塗りや漆掻き職人の担い手が減少している現代ですが、それに伴う保護活動も進んでいます。(以下の記事参照)

 以上が「世界に誇る日本漆文化の歴史を時代別に紹介!」になります。

 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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