メタセコイアは和名で「アケボノスギ」とも呼ばれています。「昭和天皇が愛した木」として有名で、秋になると美しく紅葉し、葉は黄色から徐々に赤色へと染まっていきます。
葉が赤色に色付く理由は「紅葉はなぜ赤色なのか?もみじ狩りの由来と魅力を解説!」で紹介しております。ご興味がある方は是非ご覧ください。
メタセコイア並木で有名な滋賀マキノ高原の魅力を紹介!日本紅葉の名所100選に選ばれる秋の絶景をさらに楽しめる歴史を解説!
「日本紅葉の名所100選」に選ばれているメタセコイア並木道は、滋賀県・マキノ高原にあり、SNSの撮影スポットとしても有名な秋の絶景スポットです。
マキノ高原のメタセコイア並木道は、約2.4 kmの車道の両側に約500本のメタセコイアが植えられています。その景色はまるで、どこまでも続く「紅葉のトンネル」です。
その他にも、メタセコイアで有名な絶景スポットをご紹介します。
近くにメタセコイアの並木がある方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。
「メタセコイア」と「セコイア」の木は全く別物!?
両者は名前も見た目もよく似ています。しかし、違う種類の植物です。
メタセコイアは落葉樹であり、冬に葉を落とす際、枝と一緒に葉を落とす特徴があります。一方、セコイアは常緑樹であり、冬になると成長は止まり、落葉しません。
「セコイア」は長寿の木であり、アメリカ・カリフォルニアに現存するセコイアは樹齢2700年とされており、高さは約84 mでビル21階建ての高さに匹敵します。
また、世界で一番背の高い木も「セコイア」で、アメリカのカリフォルニア州にある「セコイアアメスギ」の高さは115 mにもなるといいます。詳しくは「世界で一番高い木とは!?木が成長できる限界と「水」との関係を考察!」で解説してます。
メタセコイアは一度絶滅していたとされる歴史
「メタセコイア」は1941年に京都大学の三木茂博士が命名した植物です。
当時、3世紀の地層から「セコイア」とされる化石が日本各地で採集されていました。
博士はその葉や実の特徴から別の植物であると解明し「メタセコイア」(ギリシャ後で ”後のセコイア”) と命名しました。
その後、1945年に中国の湖北省と四川省の境にある揚子江の一支流磨刀渓の奥地で発見されました。
そして、中国の学者が三木博士の論文を参考に新種であることに気づき「生きた化石」として世界に発表したとされています。
このニュースは、湯川秀樹博士のノーベル賞受賞と共に戦後の日本の明るいニュースとなりました。
現在、日本で見られるメタセコイアは、中国で発見されたメタセコイアの種をアメリカで育成したものです。
中国の気候に似ている日本で育てることによって、メタセコイアを再び繁栄させたいとの考えから、1949年に日本に100本の苗木が送られました。
その後、メタセコイアは挿し木によって繁殖し、日本全国に普及しました。
メタセコイアは、山よりも畑での成長が良かったことから、全国にある街路樹や並木道で見られるようになりました。
良く肥えた畑での成長は早く、10年生で10〜15 mにまで成長します。
最後に -四季の移ろいを楽しむ-
ここに菅原道眞(すがわらのみちざね)が書いた有名な小倉百人一首があります。
「このたびは ぬさもとりあへず 手向山もみぢのにしき 神のまにまに」
今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。手向けの山の紅葉を捧げるので、神よ御心のままにお受け取りください。
この歌は旅の途中、道ばたのお地蔵さんにお参りする際、捧げるきれいな紙切れや、布切れの代わりに、美しく色づいた紅葉を神に捧げましょうという歌です。
百人一首でもこのように描かれているように、夏に青々と茂った葉よりも、秋の散りゆく間際の紅葉に心が動かされるのはなぜでしょうか。
美しい花や草木、小鳥のさえずり、、、。
日本人は古くから、四季の移ろいを楽しみにしながら、自然とともに生きてきました。
一年の中で、森や街路樹が紅葉に色づく、この秋のひとときを是非楽しみたいですね。
以上が「メタセコイア並木で有名な滋賀マキノ高原の魅力を紹介!日本紅葉の名所100選に選ばれる秋の絶景をさらに楽しめる歴史を解説!」の解説になります。最後まで読んで頂きありがとうございます。
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