もともと「松竹梅」は、古来中国で「歳寒三友」と呼ばれる画題の一つでした。
厳しい冬でも「松・竹」は枯れずに緑を保ち、まだ寒さが残る春に「梅」は美しい花を咲かせることから「歳寒三友」と呼ばれたそうです。
「歳寒三友」という言葉は、やがて日本に伝わり、時代が変わるにつれて「松竹梅」と呼ばれる”縁起良く” ”めでたい” 縁起物となりました。
本記事では、”松” ”竹” ”梅” それぞれの樹木がなぜ ”縁起良く” ”めでたい”とされるのか。その理由を樹木の性質の観点から解説しています。
最後までお付き合い頂けますと幸いです。
なぜ松は ”縁起良くめでたい” 樹木なのか!?
松竹梅の最初の”松”が縁起物になったのは平安時代と言われています。
千年生きる鶴が止まるのも松の枝です。
”松”が縁起物とされるようになったのは、宮廷儀礼である「小松引き」が起源とされています。
小松引きとは、正月の初めの「子の日」に外出して若い松の木を引き抜く風習です。
冬景色は、すべての動植物が活動を停止し、死に絶えてしまったような寂しさを感じます。
そのような中でも、松の葉は色あせる事なく、青々としています。この松の生命力から古来の人は、松を「不老長寿」のシンボルと称えたとされています。
また、お正月には門松が飾られる起源は、この「小松引き」であるとされています。
神聖な樹木として扱われる常緑樹
秋に紅葉し、冬に葉を落として水分の蒸発を防ぐ「落葉樹」は ”冬越しに適した” 新しいシステムです。
詳しくは「紅葉はなぜ赤色なのか?もみじ狩りの由来と魅力を解説!」で紹介しています。
一方で、落葉する事なく、松のような寒い冬の間も葉をつけている「常緑樹」は古いシステムの植物です。
人々は厳しい寒さの中でも、青々と茂る「常緑樹」に神々しい生命力を感じてきました。
常緑樹の「サカキ(榊)」は、神社では玉串として神聖な植物として扱われています。
一方、お寺では常緑樹の「シキミ(樒)」が墓地などに植えられています。
キリスト教のクリスマスでは「セイヨウヒイラギ」が、ヨーロッパの「モミノキ」はクリスマスツリーとして用いられていますが、これらも全て常緑樹です。
日本では、節分に飾られる「ヒイラギ」も常緑樹です。
広葉樹と針葉樹の違いとは!?
常緑樹には2つの種類があります。「針葉樹」と「広葉樹」です。
松や杉、ヒノキやモミノキに代表される「常緑針葉樹」は、寒さに順応していく中で、葉からの水分の蒸発を防ぐために、葉を細くするようになりました。
ただし、葉を細くしてしまうと、光を吸収する面積が小さくなり、光合成の効率は悪くなります。
カシやシイ、クスノキに代表される「常緑広葉樹」は葉の表面をワックスで覆い、葉からの蒸発を防いでいます。
このように、ワックスによって表面に光沢があることから別名「照葉樹」とも呼ばれています。
冬の寒さに強い種類の順番は、”針葉樹>広葉樹”となります。
北海道には針葉樹のトドマツやエゾマツ。ユーラシア大陸や北アメリカの高緯度地域にはタイガと呼ばれる針葉樹林が広がっています。
時代遅れのシステムのおかげで生きながらえた「針葉樹」
先ほども述べましたが、秋に紅葉し、冬に葉を落として水分の蒸発を防ぐ「落葉樹」は ”冬越しに適した” 新しいシステムです。
このように、進化した「落葉樹」は、幹の中に「導管」というストローのような、水を吸い上げるための空洞を持っており、根で吸い上げた水を、大量に運搬しています。
詳しくは「世界で一番高い木とは!?木が成長できる限界と「水」との関係を考察!」で解説しています。
一方で、針葉樹は導管が発達していません。
その代わりに、細胞と細胞の間に、小さな穴が空いており、この穴を通して細胞から細胞へと順番に水が伝えられていきます。これは「導管」が発達する前段階の「仮導管」という古いシステムです。
水を一気に通す「導管」に比べると「仮導管」は水を運ぶ効率が悪いです。
ところが「仮導管」が「導管」に勝る点がありました。
「導管」は中の水が凍結すると、氷が溶ける時に生じる気泡によって水を吸い上げることができなくなってしまうのです。
一方「仮導管」は、バケツリレーのように細胞から細胞へ確実に水を伝えます。そのため、凍りつくような場所でも水を吸い上げることができます。
恐竜の時代、地球を制覇してきた針葉樹は、進化した新しいタイプの落葉樹に、すみかを奪われていったとされています。
しかし、凍結に強いという優位性を生かした針葉樹は極寒の地に広がり生き延びてきたのです。
古いものが悪いとは限りません。針葉樹である「松」は、この古いシステムのおかげで、”縁起良く” ”めでたい” 樹木として、人々に称えられているのです。
なぜ竹は ”縁起良く” ”めでたい” 樹木なのか!?
”竹”は松からおよそ600年後の室町時代から縁起物の象徴になったと言われています。
竹は古くより庶民の生活用品として利用されてきました。
竹については「竹は草か木かどっち!?知っておきたい竹の特徴と魅力を紹介!」で詳しく紹介しています。
室町時代に入ると茶道や華道が流行し、高貴な茶室や庭園に竹が利用されたことにより、竹の評価が上がりました。
竹のまっすぐに伸びる様子と、地面にしっかりと根を張り新芽を出していく様子から「子孫繁栄」の象徴とされるようになりました。
また竹は成長が早く、タケノコができた数日後には、背の高さにまで成長します。
このことから門松は、農家の間で「松の生命力」と「竹の成長の早さ」から農作物が「枯れずに、早く健康に育ってほしい」という願いを込めて、五穀豊穣を祈る最初のお正月に飾ったといわれています。
なぜ梅は ”縁起良く” ”めでたい” 樹木なのか!?
”梅”は、松や竹から更に後の江戸時代になってから縁起物の象徴になったと言われています。
梅は古くから、果実は燻製にした漢方薬として、花は観賞用として、主に一部の上流貴族だけが用いていたそうです。
江戸時代になると、江戸幕府がお米の育ちにくい痩せた土地に、厳しい環境でも育ちやすい梅の植栽を奨励したと言われています。
こうして梅の植栽が広まった結果、梅干しが庶民の食卓にも並ぶこととなりました。
梅干しは食べると体に良く、寒さが残る春に、気高い香りとともに梅の花を咲かせることから「気高さ」 や「長寿」の象徴とされました。
最後に -春を待つ日本人の自然観-
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
現代では格付けとして、松竹梅の順によく用いられます。この順列の理由として、、、
と「松・竹・梅」という順列になった理由は諸説あるようです。
「春はあけぼの」という有名な歌には、古来の人が「厳しい冬の寒さに耐え、春を今か今かと待ちわびている姿」が伺えます。
「あけぼの(曙)」とは「夜明けの空が、かすかに明るくなる時刻」を指しています。
冬が過ぎると、日脚は少しずつ延びていき、生命の本来の活動が取り戻されていきます。
日本人は、その時を待ちわびるように「元旦の祝い・七草粥・小正月・大寒・節分・立春」と細かい折り目をつけて、春の到来を祝ってきました。
この春の到来への期待が「冬の寒さに耐えて緑を保つ ”松”と”竹”」や「寒さが残る春に花が咲き、春の訪れを知らせる ”梅”」を称えることに繋がったと考えられます。
そうして現代でも「松竹梅」は”縁起良く” ”めでたい” 言葉として使われているのでしょう。
以上が、「松竹梅はなぜ ”縁起良くめでたい” 樹木とされているのか!?」 の説明になります。最後まで読んで頂きありがとうございます。
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